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飲ませてきた国家と「しらふの自己」がつくるアルコールの見えない同調圧力

© Synthesis

昨夜の一杯は、どこまでなら「飲み過ぎではない」とみなされるのか。

明治期のピークには、日本の酒税は国税全体の約36%を占めていた(Source: 酒ミュージアム)。少なくとも当時は、酒に税収の大きな部分を頼るかたちで財政が組み立てられていた。

政府はいま、税収の一部を維持したまま、ガイドラインや税制改正を通じて飲酒を減らすことを掲げている。同時に、ノンアル飲料や飲酒量を記録するアプリが広がり、特に若い層には、しらふで自己管理された状態、いわば「しらふの自己」でいることが当然視されつつある。アルコールをめぐる変化は、市場縮小や単なる健康志向の物語ではない。税制や国際目標、職場の健康診断やアプリのグラフが、数値やガイドラインを通じて行動を間接的に整えていく「二重統治構造」として立ち上がっている。

アルコールの「適量」感覚を揃え始める税制とZ世代

アルコールの「適量」感覚には、財政当局による税制が上から働きかけている。「適量」は、国内の健康ガイドラインなどで「健康上のリスクが比較的低い」とされる1日の飲酒量のおおよその目安であり、その線を前提に制度が組まれてきた。

かつて酒税は財政の柱で、飲む量が増えるほど税収も増える前提で制度が組まれていたが、いまは税収のごく一部にまで縮み、飲酒を減らす政策と両立させながら、近年の税制改正でビール類などの税率を段階的に近づけることが、どの酒が相対的に選びやすいかに影響している。

一方で、ある国内Z世代のオンライン調査では、直近6か月非飲酒の割合が63%と報告されている。この世代の一部はノンアルを選び、アプリに飲酒量を入力する自己管理の実践を続けている。そのふるまいは、制度やガイドラインが前提とする「適量」の線と重なりやすく、その流れに合わせるように、企業もアルコールやノンアル商品の売り方をその線に合わせるように整えていく。

WHO目標と自己管理がつくるアルコールの見えない規範

コンビニの冷蔵ケースに並ぶビールとノンアル飲料。税制改正と需要のシフトが選択肢に及ぼす影響を示す棚の構図
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この二重統治構造は、WHOが2010年比で「有害な飲酒」を少なくとも20%削減する目標をGlobal Alcohol Action Plan 2022–2030で掲げることで、さらに輪郭を持つ。WHOが扱う「有害な飲酒」は医学的・人口統計的な指標であり、日常で言う「適量」やアプリ画面の「飲み過ぎ」とは別のカテゴリだが、どれも「飲み過ぎは減らすべきだ」という方向性を共有している。政府の公衆衛生計画や国内ガイドラインも、こうした国際目標をひとつの参照点にしながら数値目標や注意喚起を定め、企業は売上の維持と同時に、環境や社会への配慮を数字で測るESG評価の中で「健康的なブランド像」を求められる。

ノンアル商品の拡充や「節度ある飲酒」を前面に出した広告、飲酒記録アプリの注意表示や健診・問診での助言などは、そうした目標や評価が日常の場面に落ちてきたかたちだ。「飲み過ぎ」が数字として突きつけられ、人々はその目盛りを見ながら自分の飲み方を調整していく。こうして、誰も直接「飲むな」とは言わないのに、アルコールとの付き合い方は健康的で生産的な自己像への見えない同調圧力として日常の選択を方向付けていく。

数値が囲い込む飲酒の自由と沈黙していく欲望

半分がデジタル化するビールグラス。有害な飲酒削減と行動の数値化という二重統治のイメージ
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「飲酒の自由」には、飲む/飲まないを選ぶ自由に加えて、ときには健康リスクを承知で酔うことや、その意味について職場や家族の前で語る自由も含まれる。明治期の酒税比率のような財政の数字、2010年比20%削減という国際目標、直近6か月非飲酒の割合(63%)といった数字は、それぞれ国家財政・国際保健政策・世代文化のレベルで、「どの程度の飲酒が望ましいか」をおおまかに示す目安になっている。

財政当局や保健当局、企業やアプリ事業者、個人それぞれの「ふつうこうあるべきだ」という感覚は、こうした数値に沿うかたちで固まり、たとえば酒席を週にどの程度までなら許容するか、といった判断にも影響する。

その前提の中で、酔う時間に価値を置く人や、アルコール依存症の当事者の語りは、それぞれ違う理由から、健康リスクを示すグラフや評価シートの外側に押し出され、職場や家族の前では語りとして拾われにくくなっていく。数値の物差しから外れた声は、管理しにくい存在として扱われやすくなり、統計の上では「有害な飲酒」に一括され、職場の制度設計でも想定されない飲み方として政策や企業のメッセージからこぼれ落ちていく。

その扱われ方自体が、制度と自己管理が一体となって人の行動を整える二重統治構造の一部でもある。税制とガイドライン、アプリのグラフや健康診断が描き直した飲酒の自由の輪郭の中で、自分の一杯をどこに位置付けるかを考え直すことが、その自由をどこまで国家や企業の都合に合わせたものにしていて、どこからが自分自身のためのものと言えるのかを静かに問い返す。それを考えてみること自体が、きっかけになるかもしれない。

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Synthesis Editorial Team

東京を拠点に、ナラティブを超えた構造を探求。出版やメディアでの経験をもとに、ニュースやカルチャーの背後にある社会通念に注目し、世界を少し違う角度から読み解いていきます。