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「うちの子、ADHDかもしれないと言われて。」学校や職場で、そんな話題を耳にすることが珍しくなくなってきた。性格ではなく「特性」として説明できると、本人も周囲も少しほっとする場面がある。一方で、「迷惑をかけない」ことが重んじられる日本社会のなかで、その診断名がどんなふうに場を動かす言葉として使われているのかは、あまり正面から眺められていない。
ADHD(注意欠如・多動症)は、注意の続きにくさや落ち着かなさなどが子どもの頃から続き、勉強や仕事に困りごとが生じる人に付けられる診断名だ。小児を対象にした国際メタ解析では、世界全体で約5.9%の子どもがADHDと推計されている(Source: Willcutt, 2012)。困難を抱える人の存在自体は、日本だけの特殊な事情ではない。
一方、国をまたいで「どの程度ルールを重んじるか」を調べた国際調査では、日本は規範が比較的強いグループに入ると報告されている(Source: Gelfand et al., 2011)。決められたやり方から外れないことが重視されやすい環境では、「落ち着きがない」「段取りが苦手」といった振る舞いを、その人だけの問題として抱え込ませてしまうか、診断名のほうに移して整理するか、という選択が生まれる。ADHDという言葉は、当事者を支えるための枠であると同時に、「ルールを守れている側」と「そうでない側」を分けておきたい感覚とも相性がよい。

学校には「通級による指導」という仕組みがある。ふだんは通常学級に在籍しながら、必要なときに少人数で支援を受ける制度で、ADHDのある子どもも対象になる。この通級を利用するADHDの児童生徒は、ここ数年で約2万人から約3万5000人へと増えている(Source: 文部科学省, 2023)。厚生労働省の全国診療報酬データベース(NDB)を用い、2010年度〜2019年度の20歳以上を解析した研究でも、この期間に成人のADHD新規診断が21.1倍に増えたと報告されている(Source: 篠山・本田ら, 2022, JAMA Network Open)。
教室や職場では、席の配置を変える、指示を紙に残す、評価の仕方を工夫するといった対応を行うとき、「こちらの好意」ではなく「診断に基づく必要な配慮」として説明しやすくなる。診断があることで場を動かす手段は増えるが、受診や書類の準備、診断名を引き受ける負担は当事者と家族に集中する。テレビやネットでも、「ADHDだから責めない」「ADHDには強みもある」といった言い方が目に入るようになった。理解のある言葉づかいのようでいて、環境をどう変えるかより、名前をどう付けるかのほうが先に整えられてしまっていないか。そうした流れの中で、場を保つための調整や説明のコストが、診断のある人に寄っていく構図が静かにできあがっていく。

生成AIなどの道具が広がり、決まった手順で進める仕事の一部は機械が担うようになってきた。もし繰り返し作業の多くをAIが引き受けるようになれば、人には「間違えないこと」だけでなく、「思いつきを試す」「寄り道しながら組み合わせる」といった動きが求められる仕事が増えるかもしれない。起業家を対象にしたメタ解析では、一部のADHD特性が新しいことに挑む姿勢と結びつく可能性が指摘されている(Source: Entrepreneurship Theory and Practice, 2025)。同じ特性でも、環境や役割の設計次第で不利にも有利にもなりうるということだ。
それでも実際には、AIについて「人を助けるだけの道具だ」と語り、ADHDについて「診断があればきちんと配慮できている」と語ることで、自分の側の安心を先に整えたくなる。診断やAIそのものを裁くより前に、「迷惑をかけない側」にとどまりたい感覚が、どのように仕事や学びの設計に入り込んでいるかが問われている。
ADHDという名前が増えているかどうかより、その名前を口にするとき、誰の迷惑と誰の安心を入れ替えているのか。そこに目を向けたとき、私たちが当然だと思っていた線引きが、少しだけ違って見えてくる。