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16世紀末の朝鮮出兵や、1895年から1945年まで続いた台湾統治。日本の戦争の話をするとき、こうした出来事が当たり前の前提として話題にのぼる場面はどれくらいあるだろうか。日本史の教科書や年表で名前を見た記憶はあっても、多くの人にとって、まず思い浮かぶのは被爆や空襲の場面かもしれない。戦争は二度としてはいけない、と教えられてきた戦後80年の教育は、日本がどこで何をしてきたのかという事実を、なぜ共通の前提として広げてこなかったのだろうか。その仕組みをたどると、「知らないままでも特に困らないような歴史」がどのように選ばれてきたのかが見えてくる。

文禄の役では、日本軍が釜山に上陸してから数週間で朝鮮の首都・漢城を陥落させた。日本はまた、1895年から1945年まで台湾を統治していた。どちらも、多くの教科書で項目や年表として触れられてきた出来事だろう。広島や長崎の被爆、空襲や疎開なら、その名前を聞けば「だいたいこういうことだ」と多くの人が話を合わせられる。
一方、朝鮮出兵や台湾統治は、試験で出る用語としては覚えられても、その意味する出来事が授業後の会話やメディアで共有される場面はそう多くない。個々人の努力の問題というより、「ここまでは知っていて当然」「ここから先は知らなくても差し支えない」という線引きが、いつのまにか戦後日本の戦争観の中に織り込まれている。

終戦直後、アメリカの占領当局は修身や日本史・地理の授業停止と戦争賛美の記述の削除を命じ、既存教科書の問題箇所を墨で塗りつぶさせた。いわゆる黒塗り教科書である。その後は、日本側が教科書を書き直し、行政が学習指導要領を定め、学校が時間割の中で年表順に授業を進めてきた。
大学生への調査では、2005年時点で「高校で近現代史をほとんど教わっていない」と答えた学生が16%いた一方、2022年の同調査では2%だったと報告されている。さらに2022年度から「歴史総合」の必修化も始まっている。(Source: 塩出浩之による大学生アンケート調査/AISF・SGRA報告)制度面では改善が進んでいるとはいえ、「前から順に教え、時間が足りなければ後半を省く」運用は長く続いてきた。
これはとくに台湾統治のような近現代の対外史の扱いを薄くしてきた。一方で、カリキュラムの前半に置かれた朝鮮出兵のような古い戦争は、時間切れの直接の対象ではないものの、国内政治や為政者を中心にした物語の陰で脇に置かれやすくなる。こうした配列と時間配分、語り方の習慣が毎年繰り返されることで、「教科書にはあるが、共通知識にはならない戦争」が世代をまたいで再生産されてきた。
日本赤十字社のインターネット調査では、広島への原爆投下の日付を「知っている」と自己申告した人が78.3%いたと報告されている。(Source: 日本赤十字社「平和や核兵器をめぐる意識調査」)被爆の日付は、多くの人が意識に置いている出来事の一つだとみなせる。世界価値観調査では、「もし戦争が起きたら国のために戦う」と答えた日本人は13.2%にとどまる。(Source: 世界価値観調査 日本データ)
戦争は絶対に嫌だ、日本は平和な国であるべきだという自己像が広く共有されるとき、その枠組みの中では「戦争は絶対悪だということが共有されていれば、細かい経緯にまで目を向けなくてもよい」と感じる人が生まれてもおかしくない。アメリカの占領政策が戦争賛美を切り取ったこと、日本の学校が対外戦争の単元を時間切れの側に追いやりがちだったこと、「戦争は絶対悪」という合言葉が長く疑いにくい正しさとして受け継がれてきたこと。互いに独立していたはずのこれらの選択が重なり合った結果として、朝鮮出兵や台湾統治のような史実をあまり知らないままでも平和を語れてしまう、戦後日本の思考のロックがかたちづくられてきた。