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診察室を出るとき、多くの人は反射のように「先生、ありがとうございました」と口にする。
その一言が交わされたあと、診療の中身や判断の根拠についての言葉は、会話の外側にそっと押し出される。
文部科学省の資料「大学病院を取り巻く現状と課題」では、若手の臨床医の業務時間の大半が診療に充てられ、研究に使える時間はごく一部にとどまると報告されている。日本クリニカルパス学会の「第25回全国アンケート」でも、入院患者の中には標準的な診療計画に沿って進むケースが一定程度あることが示されている。もちろん診療科や病院によって状況は異なり、定型的な流れをそのまま当てはめにくい患者がいることも現場から語られている。ただ、少なくとも「毎回白紙から答えを生み出す仕事」というより、既に用意された手順や知識を安全に当てはめ、必要に応じて調整するという「運用」の側面が大きいことは、この二つの調査からは読み取れる。そこに、私たちが抱きがちな「常に特別な判断が連続している仕事」というイメージとのずれが生じる。

日本医師会総合政策研究機構(日医総研)の「第8回 日本の医療に関する意識調査」では、自分が受けた医療に満足している人が9割前後に達しているとされる。一方、Ipsosの「Global Trustworthiness Index 2024」では、日本で「医師は信頼できる」と答える人は4割台にとどまるという結果も報告されている。偉さそのものが測られているわけではないが、日常会話の中では、こうした感情が「先生は本当にありがたい」「やっぱり医者はすごい」という一つの称賛表現にまとめられやすい。そこに添えられる形で、「忙しいのに診てくれるだけでありがたいから、あまり細かいことは聞きづらい」と話す人もいる。
保育や介護の現場について語るときにも、「大変で尊い仕事だ」と強調したあと、「だから待遇や具体的な業務内容には踏み込まない」と続く言い回しが見られることがある。こうしたとき、称賛のことば自体が、診療の設計や判断の根拠をたどるための質問や説明要求を、わずかに後ろへ押し下げる役割を担ってしまう。その文型がどこまで自分の口ぐせにも入り込んでいるかは、一度立ち止まって眺める価値がある。

進路の場面で、「成績が良ければ医学部という選択肢もある」といった話し方が使われることがある。そこには、長い専門訓練と重い責任への敬意だけでなく、「優秀な人が現場にいてくれた方が安心だ」という期待を重ねる説明も見かける。けれど、その現場の仕事の多くが、標準化された枠組みを使いこなす運用で成り立っているのであれば、どこまでを臨床に、どこからを研究や制度設計に任せたいのかという問いは、もう少し丁寧に分けて考えてもよさそうだ。
医者をひとまとめに「とにかく偉い人」とする見方をいったん外すと、少なくとも二つの視線が立ち上がる。ひとつは、診療の手順や判断の根拠について、自分はどこまで説明を求めたいのかという視線。もうひとつは、臨床・研究・制度設計のどこに、どのような人材と時間を割きたいのかという視線だ。その二つを意識に置いたとき、「日本の医者は偉いから」という言い回しが、何を前に出し、何を後ろに回しているのかが、ゆっくりと浮かび上がってくる。